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2013-07-31 (Wed)
「いろは歌」をご存知ですか?
音の異なる四七文字のひらがなを、
一字も重複することなくすべて収めて、
しかも一つの歌にしているのです。
お正月のいろはかるたでも
おなじみですね。

正月の"いろはかるた"に隠された謎
いろは歌のキリスト 参照

<ひらがな版>
• いろはにほへと  ちりぬるを
• わかよたれそ   つねならむ
• うゐのおくやま  けふこえて
• あさきゆめみし  ゑひもせす

これに漢字を当てはめると、
一般には次の文になるとされています。

<漢字版>
• 色は匂へど 散りぬるを
• 我が世誰ぞ 常ならん
• 有為の奥山 けふ越えて
• 浅き夢見じ 酔ひもせず

「花は咲き、良い匂いを放つが、
やがて散ってしまうものだ。
同様に、わが世の中で
誰が常に栄えていることがあろう。
諸現象の奥山を今日越えて、
もはや、はかない夢を見たり、
酔ったりはすまい」

元々、有為の奥山の"有為"
という部分は仏教用語であって、

「因縁によって起きる一切の事物」を
指すようです。

12世紀の高僧、
新義真言宗(密教系)の祖である

覚鑁(かくばん)が、
いろは歌の注釈を付けています。

この歌は一見するところ、
仏教的な思想を歌ったものにも見えます。
それで仏教界では、
いろは歌は『涅槃経』の次の言葉の和訳
と主張しています。
 

「諸行無常(すべては移り変わるものだ)

是正滅法 (涅槃こそ真理である)
  
生滅滅已 (生死を脱し)
  
寂滅為楽 (滅ぼして真の楽を得よ)」

いろは歌を作ったのは
空海であるという伝承もありますが、

この説は、
空海か空海ほどの天才でなければ、
これほどの歌は作れなかった
との単なる憶測によるものです。


たしかに一部はいろは歌に
内容が似ているようにも見えます。
しかし他の部分はほとんど似ていません。

国文学者の宮嶋弘氏や岡田希雄氏らは、
いろは歌は、涅槃経の言葉とは
意味において
関係がないとしています。

この歌はその起源に関して、
多くの謎を持っているのです。


有為(諸現象)の奥山今日越えて」
の部分は、
「憂ゐ(悲しみ)の奥山・・・・」
なのではないか、
と解する学者もいます。

そうすると「いろは歌」は、
 

「色は匂えど散りぬるを
  
我が世誰ぞ常ならむ
  
憂ゐの奥山今日越えて
  
浅き夢見じ酔ひもせず」
 

となります。

こうなると、
もはや仏教的な色彩は
ほとんどなくなり、
クリスチャン的な意味となります。

聖書に、次のような御言葉があります。

「すべての人は草、
その栄光は、みな野の花のようだ」
(イザ四〇・六)
 

「むなしいものを見ないように
私の目をそらせ、
あなたの道に私を生かしてください」
(詩篇一一九・三七)


いろは歌は、
これらの聖句に符合する部分が
多いように感じます。

さらにこの歌には、
二つの"暗号文"が
隠されているのです。


昔、戦前の小学校では、
「いろは歌」は、
その最後に
「ん」または
「京」の字をつけて、
習字の手本にされました。


その際いろは歌は、
七文字ずつに
区切って記されました。

「いろはにほへと」で区切り、
次に「ちりぬるをわか」
・・・・といった具合です。

しかし七文字ずつに区切るのは、
文の流れからいって、
きわめて不自然です。

にもかかわらず、
古来いろは歌は、
七文字ずつに区切って
記されてきました。


たとえば、1079年の
『金光明最勝王経音義』に
記されたいろは歌も、
七文字ずつに区切られ、
七行で記されています。

つまり「いろは歌」は、
もともと七字ずつの区切りで
七行になるように作られたと
考えられるのです。


そこでもう一度、
七字ずつ区切った
いろは歌を見てみましょう。


最後だけ少しずれますが、
7×7のような
区切りにすることが出来ます。

【い】ろはにほへ【と】
【ち】りぬるをわ【か】
【よ】たれそつね【な】
【ら】むうゐのお【く】
【や】まけふこえ【て】
【あ】さきゆめみ【し】
【ゑ】ひもせ  【す】

ゲマトリア数秘術で、
7は十字架を指します。
したがって、7×7は、
まるで十字架を
クロスさせているようにも
見えます。


7×7にすると、
中心が『 ゐ 』になります。


『 ゐ 』は、『為』のほか、
『ヰ (=井の変形) 』を
示します。

井は、"いげた"を示し、
正方形構造で組む暗示
ではないでしょうか?


かるたを並べる時、
なるべく正方形に置くのも
そういう意味かもしれません。

さて、上部と下部の太字で
記した部分を読むと、
上が、「いちよらやあえ(ゑ)」

下が、「とかなくてしす」

となることがわかります。

「とかなくてしす」は、
「とがなくてしす」
(咎なくて死す)と
読めます。
ひとつの文章になっているのです
(歌の中では清音と濁音は区別されない)。


「咎」は"とがめるべきこと"の意味で、
罪のことです。
つまり"罪がなくて死んだ"
の意味になります。

では頭の「いちよらやあえ」は、
一体何の意味でしょうか。

現在の日本語、古語の中に、
それに当てはまる言葉は
あるでしょうか。

いろいろ調べてみても、
どうもありそうにありません。


そこでヘブル語(ヘブライ語)で
読み解くと、
「イーシ・エル・ヤハウェ」
と読めます。

「イーシ・エル・ヤハウェ」は、
「神ヤハウェの人」

を意味する言葉です。

「イーシ」は人、
「エル」は神、
「ヤハウェ」は
聖書に出てくる神の御名です

(詩篇八五・八、
イザ四二・五、
申命三三・一等参照。
申命三三・一、
出エ一〇・七等)

したがって
いろは歌に隠された言葉は、

「神ヤハウェの人」
 
(すなわちイエス・キリスト)

「咎なくて死す」
 となります。

 
さらに左上、左下、右下の
文字を続けて読むと
「イエス」となります。


それらをつなげると

「神ヤハウェの人イエス、咎なくて死す」
 
のメッセージを折り込んだ歌
ということになるわけです。

まさにキリスト教の思想です。


いろは歌は
古い時代の
日本にやって来ていた
景教徒
(ネストリウス派キリスト教徒)が
つくったものではないかと考えられます。


景教徒たちは、
シルクロードを東に向かい、
そのあちこちでキリスト教を
熱心に伝えた人々です。

唐の時代の中国で
景教が栄えたことは、
「大秦景教流行中国碑」などで、
知られています。


景教徒たちは、
医療のない国に行っては医療を与え、
教育のない国に行っては教育を与え、
また文字のない国に行っては
その国の言葉に合わせて文字をつくって
与えることまでしました。
聖書を読んでもらうためです。


日本のひらがな、
カタカナがつくられた背景にも、
古い時代の日本にやって来ていた
景教徒の影響があったと
私は考えています。

そうした中、いろは歌もつくられ、
またその中に
キリスト教思想が
折り込まれたのではないでしょうか?
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